3 :名無しさん@涙目です。 ID:CCG3bQGh0.net
邪馬台国→ヤマト国
6 :名無しさん@涙目です。 ID:Eb1QzNU70.net
12 :名無しさん@涙目です。 ID:TG76BiaY0.net
>>6
おのれぇ!ヒミカ!ハニワ幻人めぇ!
320 :名無しさん@涙目です。 ID:IhWeTete0.net
>>12
主題歌が異様に長くバンバンと擬音ばかりとかw
9 :名無しさん@涙目です。 ID:gzAkG/Bj0.net
日の巫女か姫巫女か、どっちかだろうな
11 :名無しさん@涙目です。 ID:Eb1QzNU70.net
ヒミココってまぎらわしい奴もいる
13 :名無しさん@涙目です。 ID:F6+dVQ2G0.net
ヒミコミコミコヒミコミコ
65 :名無しさん@涙目です。 ID:cWJVWXQn0.net
>>13
さてはおっさんだな
14 :名無しさん@涙目です。 ID:XU2GsNz+0.net
現地人の言葉に無理矢理漢字を当てはめて
その漢字を後世の人間が適当な読み方してるだけだからな
伝言ゲームかよっていう
16 :名無しさん@涙目です。 ID:HleMgu3b0.net
そもそも「ヒミコ」って読むのは間違いないのか?当時の発音で。







22 :名無しさん@涙目です。 ID:awlBOCJj0.net
>>16
そもそも卑弥呼自体、当時の中国の文書からわかったことなんじゃなかったかな
ヒメコと話したつもりがヒミコと伝わったとしてもそんなに不思議じゃないかも
251 :名無しさん@涙目です。 ID:a0pkqevt0.net
>>16
戦国時代の武将の名前の読み方すら妄想やぞ
漢字なんて誰も知る由もない
255 :名無しさん@涙目です。 ID:mtqL53P00.net
>>251
 戦国時代は、宣教師たちが表音文字で記録したから「織田信長様」は「おんだのぶにゃんがしゃま」
黒田官兵衛は「くわんぴょうえ」になるらしいね
294 :名無しさん@涙目です。 ID:Ge16Fwnn0.net
>>255
最上の鮭様がシスコン過ぎて妹に出しまくったひらがな手紙が現存しててよしあきって分かったって話すき
17 :名無しさん@涙目です。 ID:jv/1hL0F0.net
Q太郎だろ
27 :名無しさん@涙目です。 ID:q5OI3M6A0.net
銅鏡で占いやらあやしい儀式してたと想像する
30 :名無しさん@涙目です。 ID:6TcJeAo30.net
卑ってあやしいだろ
弥呼は一般名詞だと思う
36 :名無しさん@涙目です。 ID:pEAHjSJl0.net
>>30
確か蔑称の意味合いがあったとか、魏視点で卑しく呼ぶ者みたいな
すり寄ってくる卑しいやつと言いたかったんだろう
47 :名無しさん@涙目です。 ID:YGOTUD970.net
>>30
そもそも当時の倭国には文字なんて一般にはなかったからな
76 :名無しさん@涙目です。 ID:ddZmFwZ10.net
>>47
中華に柵封受けて交易してたんだから、
漢文書はあったと思う。
83 :名無しさん@涙目です。 ID:ddZmFwZ10.net
>>76
”冊封”
35 :名無しさん@涙目です。 ID:F5j16h/OO.net
女王を姫御子(ヒメミコ)、男王を彦御子(ヒコミコ)と言ってた説がある
40 :名無しさん@涙目です。 ID:jCYVz+LC0.net
でも魏志倭人伝の原文には邪馬台国じゃ無くて邪馬壱国って書いてあるんだよ
49 :名無しさん@涙目です。 ID:8rhrvMbi0.net
彦と巫女だったっけ
シャーマンとなんたらつうトンデモ本読んだことがある
62 :名無しさん@涙目です。 ID:N10WKpsG0.net
普通に日巫女
158 :名無しさん@涙目です。 ID:zWBeHv2/0.net
>>62
占い師だろ
火見子
だったりして
63 :名無しさん@涙目です。 ID:uL9/siWO0.net
当時の「倭国の王」として書き残されてるんだから、ただの姫様のわけないじゃん
個人的には神功皇后あたりだと思うけど、
西暦250年前後の話だから、少しズレてる
66 :名無しさん@涙目です。 ID:fZAFiu9AO.net
国家として存在しない組織?が、ヤマトを名乗ってか中国と関係を作ってた、そこは姫巫女が統治してたらしい、とかは
96 :名無しさん@涙目です。 ID:q0J7XnQ10.net
>>66
中国側のデッチ上げの可能性もある。
魏志倭人伝とは正史三国志の事。
三国時代統一直後に書かれているから、ほぼリアルタイムに書かれているワケだが、
同時に三国時代は北の魏国が南の呉国に苦戦していた時代でもある。
「東の海に魏国の同盟国の『理想的な善良な国』が存在する。その国の更に南に、その国と敵対する男王の国が存在する」
このデマは呉国にとっては脅威かつ魅力的だった事は想像するに難くない。
実際、呉国は人手不足、兵隊不足を解消する為に、ワザワザ台湾に人攫い隊を派遣している。
しかし台湾の風土病にかかって、かえって人数を減らしてしまった。
105 :名無しさん@涙目です。 ID:KFmIvRoT0.net
>>96
金印が出土してるのはどういうこと?
114 :名無しさん@涙目です。 ID:mtqL53P00.net
>>105
魏志倭人伝を信用するとして、魏から「卑弥呼」の「邪馬台国」に贈られた権威と
権力の象徴である「金印」は邪馬台国の国宝であったはず、その国宝が土中に
埋められて江戸期までおよそ2000年近くも出土しなかったというのは、邪馬台国が
崩壊するレベルの大混乱があったということだろう。その混乱の際に、重臣の誰かが金印を持ち出して埋めただろう(のちでいう徳川埋蔵金の類)
130 :名無しさん@涙目です。 ID:mtqL53P00.net
>>66
 近来の研究だと、従来、邪馬台国と大和王権が時期的に離れて成立したと思われていたがどうも
そうではなく、ほぼ同時期に存在していたという。ここからは想像だけど、例えば近畿地方を中心に
大和王権があったとする、それは近畿中心だが、北九州程度までは影響下にあったとする。
 そのうちに権威付けやら実利の為に魏と交渉しなければいけない時期になったが、近畿では不便だ。
だから「大和王権外務省九州出張所」のようなものを北九州に作り、そこの所長として「卑弥呼」と呼ばれる
女性(要するに外務大臣や外交官のようなもの)を「女王」として派遣した。その後、魏から使者が来たが
通訳の不手際から「こちらはヤマト王朝外務省九州出張所」の「女王(所長)」の卑弥呼ですがうまく伝わらず
「邪馬台国?」「女王?」ああ、この女が倭を支配する女王なのかと勘違いして帰った。
これならどうだろうね?ちなみに遠く安土桃山時代の朝鮮出兵の際でさえ「関白豊臣秀吉は、織田信長の実子」と
中国側の記録に誤記されているぐらいだからね。
150 :名無しさん@涙目です。 ID:ZzpcRGyY0.net
>>130
面白いね。
その話だと、魏の使者に大和国はこんな国ですよと説明したくて、
九州にミニ大和を作り、そこを支社にした。だから一部地名が九州と近畿で似ているのかもしれん
71 :名無しさん@涙目です。 ID:xwNF2QW70.net BE:659060378-2BP(3000)

日の巫女だよ

アマテラスは男神で
卑弥呼がその巫女だったわけ

卑弥呼の死後
アマテラスが卑弥呼に置き換わって
女神になった
92 :名無しさん@涙目です。 ID:WgXQjgBP0.net
>>71
天照の大神て男の娘だったの?!
94 :名無しさん@涙目です。 ID:TG76BiaY0.net
>>92
男の娘はどっちかというと月読?
100 :名無しさん@涙目です。 ID:WgXQjgBP0.net
>>94
いまいち性別がわからんよねその辺りの神様たちって
アメノウズメとかは女の子っぽいけど
116 :名無しさん@涙目です。 ID:TG76BiaY0.net
>>100
確か天照は女神で須佐之男は男

月読は性別不明だけど、男神として扱われてることが多かったかなぁ
72 :名無しさん@涙目です。 ID:q5OI3M6A0.net
そいや金印どうなったん?中国は歴史書には書いてあるんだろ
81 :名無しさん@涙目です。 ID:Q6URs/ud0.net
>>72
後継の壱与も朝貢してるから、中国の国号が晋に変わった時
返却を求められているはず

代わりに”親晋倭王”の印をもらってるはず







89 :名無しさん@涙目です。 ID:q5OI3M6A0.net
>>81
代わりの遺物があるって事か
NHKでのなんかでは土で型を取った
うんたらかんたらあーだこーだ
日本国内の起源説は迷宮入り
夢がひろがりまくりんぐでしめてた
74 :名無しさん@涙目です。 ID:KQckj/+u0.net
邪馬台国がヤマト国と読めるのは偶然ではないだろ
奈良の周辺に卑弥呼の墓があるはずだ
さがせ
87 :名無しさん@涙目です。 ID:gzAkG/Bj0.net
>>74
卑弥呼の墓は、大分の宇佐神宮の下にあると思うよ
75 :名無しさん@涙目です。 ID:WgXQjgBP0.net
金印プレゼントしてくれたのって曹操?曹丕?
85 :名無しさん@涙目です。 ID:Q6URs/ud0.net
>>75
曹丕の子の曹叡
95 :名無しさん@涙目です。 ID:WgXQjgBP0.net
>>85
司馬一族に乗っ取られた情けない人だったっけ?
げんなり
98 :名無しさん@涙目です。 ID:Q6URs/ud0.net
>>95
乱世なのに子供に帝位譲っちゃいけませんよね
孫策は、偉かったね
110 :名無しさん@涙目です。 ID:q0J7XnQ10.net
>>95
曹叡までは優秀だった。
曹丕・曹叡が早死にした事が曹魏衰退の原因。
115 :名無しさん@涙目です。 ID:WgXQjgBP0.net
>>110
あの時代では仕方がないよね
でも呉の世継ぎの方が酷かったみたいだからまだましなのかも
晩節は汚してない…のかな
78 :名無しさん@涙目です。 ID:xwNF2QW70.net BE:659060378-2BP(3000)

大和は天皇だから
卑弥呼は関係ないよ

天皇は騎馬民族だし
馬の土偶が発見されてる
相撲の土偶も
86 :名無しさん@涙目です。 ID:3O7BLhAY0.net
邪馬台国をヤマト国って読むのは昔は当たり前だったのに
江戸時代に突然やまたい読みに変わっちまったらしいな
111 :名無しさん@涙目です。 ID:mWWxGAmL0.net
中華皇帝からすると「遠くの名前もきいたことない島にまで皇帝のご威光が届いてるんやで」と権威づけできるから
日本からの使者は、はっきり言ってみすぼらしい蛮族に過ぎなくても丁重にもてなしてもらえた。

これが半端に近くて地続きだと、「偏狭のゴミみたいな土地を代わりに統治させてやってる子分」という扱いされてしまうんやな。
127 :名無しさん@涙目です。 ID:NWWpdPB70.net
当時の発音が不明だからわかんねえよ
古代中国語で卑弥呼を「ヒミコ」って発音してた可能性は薄いと思う
128 :名無しさん@涙目です。 ID:mWWxGAmL0.net
そういや、当時の中国語で卑弥呼を発音するとなんて読むんだっけか
なんかの番組でやってたけど忘れちった
132 :名無しさん@涙目です。 ID:WgXQjgBP0.net
卑弥呼サマーって言ってた時はドングリとかたべてたのかな
ブワ
137 :名無しさん@涙目です。 ID:mWWxGAmL0.net
>>132
青森あたりが繁栄してた頃、栗の木を大量に植えて食ってたんやで。そして寒冷化で壊滅した。
瀕死の原始日本人を救ったのは栃の実ドングリやったんや。
134 :名無しさん@涙目です。 ID:epC1bqz40.net
モアナと伝説の海見ると日本の神話チックなんだよな
232 :名無しさん@涙目です。 ID:MDAcUciJ0.net
>>134
柳田國男だよな
143 :名無しさん@涙目です。 ID:kcfx/Qii0.net
九州には豊の国と日向の国があるけど、
これらは女王の名前にちなんでいる。
日向(ひゅうが)は昔、ひむかと読んだんだよ。

卑弥呼=ヒムカ=日向

台与=トヨ=豊

これが正解。
144 :名無しさん@涙目です。 ID:mWWxGAmL0.net
日御子でもええやん
特に誰かをさすわけでなく太陽崇拝をする司祭を指しててたまたまそのときは巫女だった
145 :名無しさん@涙目です。 ID:P415/SJg0.net
そもそも卑弥呼も邪馬台国もあったかすら怪しいけどな
魏志倭人伝自体いい加減な書物だし
書物の通り進むと邪馬台国が海の真ん中になるしな
163 :名無しさん@涙目です。 ID:ddZmFwZ10.net
>>145
そこで短里説ですよ。
162 :名無しさん@涙目です。 ID:n7FArlyB0.net
九州倭国連合 →→→→ 東 遷 →→→→ 近畿大倭連合 →→→ ヤマト王権

当初九州北部に誕生した倭国連合は、出雲や吉備など、周辺の大勢力を次々と盟友に加えて拡大していき
次第に日本列島規模で豪族たちが集まる、大勢力に成長しつつあった

あるとき倭国連合の盟主だった卑弥呼が死んだ
かねてより盟主の座をうかがっていた狗奴国の卑弥弓呼は
今がチャンスとばかりに邪馬台国の乗っ取りに成功、狗奴国は真・邪馬台国となり
その余勢をかって倭国の盟主の座に名乗りをあげた

そこで、九州邪馬台を本拠地とする倭国連合は発展的解消し
あらたに、全国の豪族たちの勢力中心地を本拠地として定め、大倭連合を立ち上げた
それが、近畿ヤマト

ところが
誰も卑弥弓呼(神武)を大倭連合の新たな盟主とは認めてくれない……
そこで仕方なくあみだした手が、卑弥呼の宗女である台与を頭に据える手だった
それで連合の不和はようやく静まり、卑弥弓呼は大倭連合の初代大王に無事おさまった
175 :名無しさん@涙目です。 ID:ddZmFwZ10.net
>>162
白村江の敗北により、九州王朝が同族の大和王朝に吸収されたんだよ。
321 :名無しさん@涙目です。 ID:J+Z4rJXF0.net
>>175 雄略天皇の御世には九州全域は大和に服従してたよ。
大伴氏が絶対的な権力を握っていた。
167 :名無しさん@涙目です。 ID:XAB9bcbY0.net
昔の人ってなんで日本と中国で普通に会話通じてるの?
168 :名無しさん@涙目です。 ID:n7FArlyB0.net
>>167
日本列島内に華僑が住んでて、大陸の言葉がしゃべれる人たちのコロニーがあちこちにあったという説がある
181 :名無しさん@涙目です。 ID:Q6URs/ud0.net
>>167
隋書には、昔、邪馬台国の使者が通訳を伴って入朝したって
書いてあるよ
172 :名無しさん@涙目です。 ID:9Ey+lcKl0.net
伊都国まで魏の使いは来ているが
それ以降は伝聞を書いてるだけだよね
倭の都の正確な位置など魏に教えたら責められちゃうもんね
だから虚位の方角に都があると伝えた
176 :名無しさん@涙目です。 ID:mtqL53P00.net
結局、皇室や天皇の権威を否定したい歴史学者と、「下手に古墳を掘り返して、天皇の権威に
傷をつける事になっては困る」から古墳の学術調査を徹底的に拒む宮内庁が、この国の古代や
成り立ちを分かりにくくしているんだよ
179 :名無しさん@涙目です。 ID:q5OI3M6A0.net
>>176
面白いよな人間の歴史っていうか史実ってのは
そういうのも含めて議論すると盛り上がる
お互い書き物や遺物、伝承、神話を正義の堤防にしてても
そう甘くないw
188 :名無しさん@涙目です。 ID:mtqL53P00.net
>>179
 エジプトや中国と、日本が違うのは、前者の国は「王朝」が滅亡しているから、それらの墳墓の
調査は容易であるが、日本の場合「古代王朝」が現代の「天皇家」につながっているから、
墳墓の調査が難しい事だな。まあ、それがいい事もあって例えば、鎌倉時代にぐらいに朝廷
(天皇家)が滅亡していれば、皇室の宝物や儀典、芸能、重要文献が散逸して、現代に伝わらなかっただろうし・・
182 :名無しさん@涙目です。 ID:n7FArlyB0.net
随書にはこうも書いてある
>また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。
>そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。疑わしいが解明は不能である。

卑弥呼より前の時代も、何十か国も朝貢してたんだよなあ
列島内のあちらこちらの勢力が、おのおの通訳を用意できるということは
そこら中に漢語をしゃべれる人たちのコロニーがあったということだろうな
183 :名無しさん@涙目です。 ID:RpHzXrgq0.net
年代や位置が近い事もあって我々が勝手に関連性や連続性を見出だしちゃって
それで謎を生んでる部分があるように思えるなぁ
この例えを歴史学者が間違える事は無いんだろうが
例えば邪馬台国とヤマト国は別物なんだぜ
さらに言うとヤマト朝廷の元になったであろう勢力の近所に祈祷所みたいなのが見付かった→卑弥呼の建物だ!
みたいなのも実に勝手な関連付けに思える
185 :名無しさん@涙目です。 ID:n7FArlyB0.net
>>183
近畿のもろもろは卑弥呼じゃなくて台与だと思うわ
190 :名無しさん@涙目です。 ID:BASWQRpT0.net
これ中国がつけた名前だろ

卑しい巫女

で卑弥呼

邪悪な馬の国
邪馬台国
194 :名無しさん@涙目です。 ID:S5Z9qnoG0.net
>>190
モンゴルと自称していた連中を蒙古と言ったように
元の音はあったんだと思うよ

それを卑しい字に当てはめるのは中国人らしいけど
231 :名無しさん@涙目です。 ID:IFirl21y0.net
無知だから全然わからんけど実は金印の発見てめちゃくちゃやばい奇跡的な発見なんじゃないのかと子供の頃から不思議だった
あんな偶然農民かなんかが日本史上最も重要な遺物を発見するとか確率てきにヤバすぎでしょ
234 :名無しさん@涙目です。 ID:mWWxGAmL0.net
>>231
でもまあ、世界見ても、歴史の定説変わるような超重要な遺跡や遺物なんかが
そこらの農夫が邪魔な石どけようと掘ったら見つかったとか、羊飼いが逃げた羊追いかけたら見つけたとか
農作業してたらたまたま見つけたってのがあるから、そういうもんなんだよきっと。
242 :名無しさん@涙目です。 ID:mtqL53P00.net
>>231
 金印は発見もそうなんだけど、埋められた経緯の方も気になるよ。先に書いたように魏志でいうように
金印が魏から邪馬台国に権威と権力の象徴、そして朝貢貿易の為に重要なモノだとすれb
それは邪馬台国の国宝であったはずで、当然、厳重に守られていたはず。
 その「国宝」が誰やら(おそらく邪馬台国の重臣)の手で土中に埋められていた事は、当然
邪馬台国に、重臣の誰かが国宝を抱えて逃げ出さなきゃいけないような、重要事態が起きたはず。
おそらく、周辺部族の反乱か大規模襲撃、結果として、邪馬台国の消滅(滅亡)があったはずなんだよね。
 
301 :名無しさん@涙目です。 ID:YZpoSiWX0.net
>>231
金印は捏造疑惑あるんだよなぁ
江戸時代に検証に関わった人達が怪しいんだと
283 :名無しさん@涙目です。 ID:IuK6JQC+0.net
>>1
紀元1世紀頃の日本はまだ各地の豪族が群雄割拠する時代だった
それをほぼ統一まで持っていったのが卑弥呼
最後まで抵抗したのが卑弥弓呼
卑弥呼の後を引き継いで治めたのが壱与

7世紀に天武天皇が編纂させた古事記と日本書記は天皇の正当性を内外に知らしめる目的で作られたもので
当時の力関係により意図的な内容になっている
天皇が国を治めるに至った経緯も時代を変えて神話化している

おそらくアマテラスのモデルが卑弥呼、オオクニヌシのモデルが卑弥弓呼だろう
そしてアマテラスの子孫が初代天皇である神武天皇という事になっている
293 :名無しさん@涙目です。 ID:3OxbpvFK0.net
卑弥呼=天照大神
説好き
真偽は知らんが